渇愛

自分が何者であるかを考えていくと、
つくづく自分は欲深い人間であることに気付きます。

「自分はこれが好きかも知れない」
「自分はこれは嫌いである」
「こうなったら幸せになれるだろう」
「人と比べて、満たされていないから自分は惨めなやつだ」…など

あれこれ頭に浮かんでくる思考を分析してみると、結局それらは「より良く生きていたい」という欲望であり、「絶対的な幸せがあるに違いない」という幻想を私たちが持っているからなのです。

しかし、これらの欲望や幻想は「生きのびていたい」という脳の生存欲が、私たちの成長過程で築いた(教育や情報など)知識による自我(私であるという認識)を刺激して、あたかも「こうすることが幸せに生きるということだ」という幻想を作りだしているのに過ぎないのです。

一旦、これらの欲望が満たされたとしても、
私たちはまた新しい欲望を探しだし、足りない自分を発見して落ち込みます。


もちろん、より良い人生を求めて生きることは悪いことではありません。

問題は、「欲望に執着しすぎるあまり、自分の足りないものに目を向けて落ちこむこと」です。

この「渇愛」と呼ばれる現象は、生き物すべてに起こるものであり、あなただけではありません。

みんな等しく悩み、苦しんでいます。

渇愛による苦しみから解放すること、
いわゆる「解脱」こそ人生の課題であり、
修行であるとブッダが説いているわけです。

「解脱」はありのままの自分をただ見つめて、そこに良し悪しのジャッジをしないこと。
また、起こっている事柄によって沸き起こる感情を、ただの脳の現象だと客観的に理解して受け流すこと。
悪いことも良いことも、実際には何の意味もない幻想なのですから。

でもそう簡単にはいきませんよね 笑

まずは、今いる環境の中で小さなことでも淡々とやり過ごし、
沸き起こる感情を「あー、今自分はこう感じているんだな。そうかそうか。」と受け流す練習をしてみましょう。

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